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っすい)の春灯(しゅんとう)で豊かに照らされていた六畳の間(ま)は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李(やなぎごうり)の辺(へん)から吾輩の頭の上を越えて壁の半(なか)ばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然(ばくぜん)と動いている。好男子も影だけ見ると、八(や)つ頭(がしら)の化(ば)け物(もの)のごとくまことに妙な恰好(かっこう)である。陰士は細君の寝顔を上から覗(のぞ)き込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。
細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付(くぎづ)けにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津(からつ)の住人多々良三平君(たたらさんぺいくん)が先日帰省した時御土産(おみやげ)に持って来た山の芋(いも)である。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆(さんぼん)を用箪笥(ようだんす)へ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚(おろ)か、沢庵(たくあん)が寝室に在(あ)っても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重(ていちょう)に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分(だいぶ)目方が懸(かか)りそうなのですこぶる満足の体(てい)である。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多(めった)に声を立てると危険であるからじっと怺(こら)えている。